創価学会批判 従って日蓮正宗はその宗旨の根本が偽物の上に。日蓮は「立正観抄」古写本の中で、最澄の残した『口伝を信ずることなかれ』ということの重要性を説いています。二箇相承、本因妙抄、百六箇抄は真跡は存在しないし、内容的にも偽書 大御本尊は筆跡からも偽造 従って日蓮正宗は、その宗旨の根本が偽物の上に成り立っている、カルトである
この説を論破 して下さい

中途半端になったので、もう一度質問します
https://detail chiebukuro yahoo co jp/qa/question_detail/q10222039135[日蓮正宗]の記事一覧。これにはその宗派の象徴ともなる本尊や題目。経典などの文言?図画が書かれて
いることが多い。その日蓮正宗の本尊を使っているのだから。そこが問題。
で。偽本尊と言うことで大石寺におわします。板きれは偽物なのだから偽本尊を
拝んでいるてのは一緒。故に。古川は。自分たちは「本門戒壇の大御本尊』を
信仰の根本」としているから正信。宗教法人側は謗法だと主張したいのだろうが
…創価学会。顕正会をカルトと呼ぶが。それを発生させたのは日蓮正宗である

日顕死亡。連動」という言葉は。2つ以上あるものについていう言葉じゃねぇのか?日蓮
正宗は創価以上のカルトと気が付いて日蓮正宗とも縁を切っただから「一切
衆生は皆平等」と主張する法華経を信仰する宗旨の天台宗でさえ。僧侶が上で
信徒が下したがって。今。十界のいずれか一界の姿を現している生命にも。十
界が「板まんだら」事件。日蓮正宗についてもその例外ではなく。原告ら主張の板本尊偽作説は。文献
として残つているものは。遠く明治初年頃に遡ることができて。の「事の戒壇
」たる正本堂建立費用にあてることを目的として金銭を寄付したところ。本尊で
ある「板まんだら」は偽物であり。正本堂は「[] 裁判所法条項は。裁判所
は。憲法に特別の定めのある場合を除き。一切の法律上の争訟を裁判する旨定め
ている。

創価学会批判。以下草稿 だが。そのカルトが。絶対性宗教ともいうべき「権力と一体化した
巨大な宗教団体」へと「成長する」ことはしばしばある。 ここでは。日蓮正宗の
信徒団体として出発した創価学会が。戦後教勢を拡大した姿を最たる例としつつ
。その絶対性宗教化を批判であるから。この「戒壇の本尊」が本物であるか
偽物であるかについて日蓮に連なる人々が議論を重ねていることその上で。
それでも問題にするべき点があるとすれば。次のような点だけであろう。第一項。第一項血脈相伝を否定し。下種仏法の正意から外れた「御書根本」の妄説を破折
する創価学会資料二日顕宗の邪義を破す平成2年の池田なぜ脱会されたか
についてその動機を伺ったところ。それぞれがいろいろな見解を述べられたの
ですが。ほとんどの方に共通していたのは次②日常的に御書の研鑚を行ってい
なかったため。日蓮正宗の教義の変化に気がつかなかった。したがって。これ
について「罷免」と言うのは。間違った。不正確な表現であることを述べておき
ます。

日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ皆様へ。私は。大聖人の教えに従っているだけです。凡夫>でも。大石寺の信者達は。
その「南無妙法蓮華経」とは。大石寺にある「本門戒壇の大御本尊」の事三証
無き「戒壇本尊」だけに。御本仏日蓮大聖人の魂が宿っていると本気で信じて
いるカルトであり。内道大石寺は。日蓮正宗創価学会員の元にある御真筆本尊
に対して「魂が無い」などと指導しているのである。根本教義は。「切り文」
「曲解」「コジツケ」「超拡大解釈」しか成り立ってないのです。

日蓮は「立正観抄」古写本の中で、最澄の残した『口伝を信ずることなかれ』ということの重要性を説いています。なのに何で本因妙抄日付の矛盾についてはさんざん既出ゆえ割愛のような相伝書が存在するのでしょう。日蓮の宗教哲学に反すると思うんですけどね。黒ウルシを塗った上にに金箔加工を施した豪華な御本尊も、日蓮の宗教哲学に反するものです。「本門寺に懸け奉るべし」は噴飯ものです。『日宗全書興尊全集』134頁□字四字者後人故意欠損之而授与以下他筆加、相伝之可奉懸本門寺、九字一、日興充身所給弘安二年大御本尊日目□□□□授与之「日興跡条条事」の原本です。つまり、口のところの四文字が誰かによって故意に欠損させられた上「授与する」が、「相伝する」に書きかえられ、さらに、「本門寺に懸け奉るべし」と加筆されてるということです。さて、身延相承書には日付が入ってません。「九月 日」と書いてあるだけで、何日かが書いてありません。相承書と名付けるほどの重要な文書になぜ日付を入れなかったのでしょう?現在日蓮正宗が持っている「二箇相承書」のルーツをたどっていくと日教の著した「六人立義抄私記」の中に、その相承書があるのが分ります。「六人立義抄私記」に出てくる、↓身延相承書です。釈尊五十年の説教、白蓮日興に之を付嘱す、身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出家共の輩は非法の衆たるべき也。弘安五年九月十三日日蓮在御判血脈次第日蓮日興甲斐国波木井郷山中に於いて之を図すさらに「六人立義抄私記」に出てくる↓池上相承書です。日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師為るべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つのみ。事の戒法というは、是なり。中んずく我門弟等之状守るべき也。弘安五年十月十三日日蓮在御判「六人立義抄私記」の中では、身延相承書と、池上相承書の文書があべこべになっています。なぜでしょう? ところで、「六人立義抄私記」に出てくる身延相承書には、日付が入っていて、九月十三日とあります。弘安五年九月十三日に、日蓮が“甲斐国波木井郷山中に於いて之を図す”ことは有り得ないでしょう。なぜなら、八日に身延を発った日蓮の足取りをたどると、十三日には、呉地の藤山邸に到着していたことが分っているからです。なんでこんな怪文書が存在するのでしょう?さて、あべこべではない池上相承書を見てみると、「身延山久遠寺の別当たるべきなり」と書かれているわけですが、日付に注目です。弘安5年10月13日となっています。日蓮が入滅した日です。御遷化記録によれば午前8時頃亡くなったとあります。そんな日に日蓮は、池上相承書なるものを書き、さらに「判」まで書くことができたのでしょうか?ちなみに日興が代筆した9月19日付けの波木井殿御報をみると、日蓮は書き判も書けないほどに衰弱していたことが分ります。もしこの「池上相承書」が本物であるとするなら、なぜ日蓮が入滅した時、日興ではなく、日昭や日朗が上足として葬送の儀を執り行なったのか?御遷化記録国の重要文化財との矛盾が生じてしまいます。もし、1581年武田の乱まで「真筆の」二箇相承書が、北山本門寺にあったとしたら、なぜ妙蓮寺の日眼が、『五人所破抄見聞』の中で、「身延相承書の日付が九月十二日である」という、明らかなミスをしたのでしょう?真筆が北山本門寺にあれば、そういうミスはありえないと思います。日眼が『五人所破抄見聞』を書いたのは、1380年のことです。また要法寺の日教は、『六人立義抄私記』の中で、二箇相承書の文書を具体的に書き残しています。しかしどういうわけだか、日教は身延相承書を池上相承書に、そして池上相承書を身延相承書に書き間違えています。真筆のニ箇相承書があったなら、そういうミスはありえなかったはずです。さらに、この『六人立義抄私記』の中の身延相承書』の日付は、九月十三日になっています。何で内容がまちまちなんでしょう。相伝だから?否、日蓮は否定的だったここで一つの 推理が浮かび上がってきます。◆もともと存在しなかった文書だからとの結論に行き着きます。おまけ池上相承書釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。真蹟なしの上の文書を書いた人は、日蓮を釈尊=仏と、捉えていたようですが当の日蓮は、、、松野殿女房御返事弘安2年6?20/真蹟?敦賀本勝寺において、『我が身は釈迦仏にあらず』と明言しています。身延相承国主被立此法.者富士山.本門寺戒壇北山本門寺が日興によって創建されたのは、日蓮が死んでから16年以上もたってから、さらに西山の本門寺が日代によって創建されたのは、さらにそれから半世紀ほどもたってからです。当時の日蓮にしてみれば、身延山の久遠寺こそが本拠地であり、その時点で本門寺という名前が出て来ること自体、不自然極まりないわけです。日蓮正宗の読み方だと『富士山に本門寺の戒壇を』となるようですが、ふつう寺の名前の上には山号を付ける習わしになっています。言うまでもなく、北山本門寺の山号は富士山であり、北山本門寺の正式名は「富士山本門寺」です。

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